27歳で緊急脱出!仕事が嫌なので0円でセミリタイア!!

2020年6月に5年続けた仕事が嫌になり資産がロクにないまま勢いで辞めた人間の末路をお楽しみください

子育てしてると大人になれるのだろうか?

どうもポテトです。

最近は女友達とよくラインをしているのだが、その彼女がこんなことを言ってきた。

 

『どうしたら精神的に成長できるんだろう、子育てとかしたら大人になるのかな』

 

今回は賢者たる僕がこの質問を解き明かしていこうと思う。

 

我慢強くはなるんじゃない?

子供ができる、会社で働く、結婚する、このような事柄において共通するのは自由が無くなるということだ。つまりは自分優先で行動することができなくなるのだ。

 

子供ができたら子供のために時間を割かないといけないだろう。一人で居たい時も子供と一緒にあらねばならない時もあるだろう。

 

会社で働けば今度は会社のため時間を奪われることになるだろう。一人で居たい時も会社に行かないといけない時もあるだろう。

 

結婚したら以下略。

 

このように人は他者と関わってしまった時点である意味で鎖に繋がれてしまうのである。

 

子供とか自由を奪うもっとも強力な鎖の一つでしょ

まじでやべーっす。

 

聡明なる僕の語彙力がなくなるほどにやべーっす。

 

金も時間も根こそぎ奪われるのが目に見えているじゃないか。鎖に繋がれるのはもちろん、そこに繋がれている錘の鉄球は最大級といっていい。

 

なのでその最大級の鎖に慣れてしまったのなら我慢強くはなるのだろう。自分を優先しないことに慣れるのである。

 

つまりは自分を犠牲にして他者に奉仕する精神が身に付くのだ。

 

他者に奉仕するというと聞こえがいいが、その先に待ち受けているのは自己のゾンビ化である。いくら我慢強くなれど人の身体と心はダメージを追い続けるのである。なので我慢し続けた人間はそのうちゾンビになります。

 

ストレスで大切だったはずの子供をきつく叱りつけるようになり、愛していたはずの夫を旦那デスノートで揶揄するようになるのである。

 

その腐ったゾンビ心は周りへと伝播し、育った子供も野次られた夫も連鎖的にゾンビになり、大不幸の完成だ。

 

我慢強さが大人というなら僕は子供でいいよ

上記の例は半分誇張しているが、わかりやすく説明するためだと思ってくれ。

 

ここで重要なのが『人はなぜか自分を犠牲にできることがさも精神的に成熟していること』のように考えるところだ。

 

僕からすると、ちゃんちゃらおかしい話である。ところでちゃんちゃらってなんだろうな。

 

他者に奉仕して喜ぶのは他者だけだ。だから自己犠牲の上で奉仕することに他者だけは貴方を盛大に褒め称えるだろう。だってそっちのほうが都合がいいのだから。

 

もし他者に奉仕することが本質的に素晴らしく、誰もがすべきことというなら、無能な僕が仕事で困ることもなくセミリタイア生活に強制送還されることもなかっただろう。

 

世の中には不幸にまみれた人や悩みにまみれた人が大勢いる。それはなぜか。他者から奉仕してもらえないからだ。

 

そう、みんなは他者に奉仕なんてしないんですよ。だってみんな他者に奉仕することは素晴らしいと褒め称えつつも自分だけは絶対に奉仕しないんです。

 

我慢強くなんてならなくていいんです。人はみな自己中であるべきだ。

 

もし我慢強くなることが大人の条件なのだとしたら僕は子供のままで一向に構わない。

 

本当の大人とは自分の結論を持つことです。

僕は思う。『どうしたら大人になれるんだろう』こう考える時点で精神的に成熟してないなとね。

 

しばしばこういった浅はかな考えを持つ人がいる。

 

『自分が生きる意味ってなんだろう』とかも同じである。

 

人が作った言葉の意味に疑問を持つのである。

 

大人とはとか、人生の意味とか、男とは、女とは……。こういう人はいろんな言葉に正しさを求め悩みの迷宮で彷徨い続けている。

 

本当に必要なのは世間一般の解を導き出すことではないのですよ。

 

わからないことは自分で定義するんです。そしてその定義の上で自己行動し、その結果が幸福になろうと不幸になろうと受け止めることができる。それが大人というものではないだろうか。

 

だいたいこういう人って他者からの目ばっかり気にしてるんだよな

言葉の迷宮を彷徨い続ける人は決まって他者からの目ばかり気にしている。

 

他者から見て大人に思われようと思うから自己定義できないのである。

 

それではいつまでたっても迷宮の中だ。他人なんて千差万別。最終的には他者の都合のいいように操作されゾンビ化するのが目に見えているじゃないか。まぁそれが理解できない知能だから大人になれないのかもしれないな。

 

僕は思う。『ゾンビ達は救えない』だってこの世界は僕のような心を浄化できる賢者よりも他者に振り回されるゾンビのほうが多いのだから。

 

僕たちにできることは自分だけはゾンビにならないように立ち回ることだけだ。

 

ゾンビを救おうと思った瞬間、苦悩への道が開かれ僕はゾンビとなるだろう。

 

そのことにも早々と気づいてしまうあたりやはり僕は賢者なのだろう……。

 

だから僕は薄っぺらく願おう。

 

この世界からゾンビがいなくなりますように。

 

つまらないことで悩む愚者が少しでも減りますように。

 

決して叶わない展望でさえも僕は薄っぺらく祈るのだ。

 

なぜなら僕は心優しい賢者だから。